聖書の事実

学者たちについて (PDF) PDF版

学者たちについて

占星術の学者たちは、クリスマスの伝統に、密接に関連しています。3人の学者たちが羊と共に、飼い葉おけに横たわる生まれたばかりのイエスを拝している姿を、見たことのない人がいるでしょうか?ですが、これらの言い伝えは、正しいのでしょうか?この学者たちは、誰なのでしょう?学者たちは、3人いたのでしょうか?どこから来たのでしょう?いつイエスを訪問したのでしょうか?彼らについて、聖書は何と語っているのでしょうか?

1、学者たちは誰で、何人いたのでしょうか?

学者たちの名前について:聖書には記されていません。ですので、彼らについての推定の名前を聞いたことがあるとすれば、それは、単なる言い伝えにすぎません。

  学者たちの人数について:御言葉には、学者たちが3つの贈り物、黄金、乳香、没薬を持ってきたと書かれていますが、学者たちは3人であったとは記されていません。聖書には、「学者たち」と複数形で記されているため、確実に独り以上であったことを意味しています。他に何人いたのか、聖書には記されていませんから、分からないのです。ですが、2人、3人以上であった可能性は大きくあります。それは、ベツレヘムまでの長旅をする場合、安全のために通常、複数人の旅行団を形成したからであります。

学者たちが誰であるのかについて:マタイによる福音書第2章1節にある「学者たち」という訳のギリシャ語の原語は「magos」です。この単語の意味ですが、この単語は初め、メディア人、ペルシア人である祭司と学者の階級を特徴づける言葉として使われました。この階級に属する人々の専門は、主に、天文学、占星術でありました 。LXX(旧約聖書の古代ギリシャ訳)のダニエル書(ダニエル書第1章20節、2章2節、10章27節、4章7節、5章7節、11節参照)でもこの単語が同じ意味で使用されています。また、ダニエル書では、「賢者」という単語も使用されています(ダニエル書第2章12節、18節、24節、27節、第5章7節、8節)。ですので、例えば、ダニエル書の第5章11節で、ダニエルが「星占い師などの長」(古代ギリシャ訳では「magoi」,[magos]の複数形)とされたと言う場合、それは、ダニエルは、知恵ある賢者の階級と見なされたと言う意味です。この意味のほかに「magos」は、魔術師という意味でも用いられています(使徒言行録第13章6節、8節)。しかし、イエスを訪れた賢者たちは、初めの部類に属していたことが明確です。つまり、彼らは、学問のある賢者の階級に属する者たちでありました。(魔術師は、神の子を拝みに来ることなどは決してしなかったからであります。

2、学者たちは、イエスのご誕生された夜そこにいたのでしょうか?

わたしたちは皆、クリスマスの時期、学者たちが羊飼いと共に、飼い葉おけに横たわるイエスを拝んでいる姿を見たことがあります。クリスマスには、お決まりの伝統かもしれませんが、この姿は実際に起きた事柄を描いてはいません。学者たちの訪問について最初に聖書に記されている箇所は、マタイによる福音書第2章1節です。

マタイによる福音書第2章1節
「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て」

この節によるとこと、学者たちは、イエスがお生まれになった後にベツレヘムに着いています。ですので、ベツレヘムに滞在したことを考慮すると、マタイによる福音書第2章2節から9節の起こるうる時期は(学者たちはベツレヘムに着いて子供を捜しました、ヘロデ王は学者たちの発言を聞いて、不安を抱き、王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただし, 占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた後、学者たちをベツレヘムへ送り出しました)伝統が教えるように、イエスのご誕生の夜ベツレヘムにいたということはありえないことが明確であります。さらに、マタイによる福音書第2章11節は、こう語っています。

マタイによる福音書第2章11節
に入ってみると(学者たちが)、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」

  ここで分かるように、学者たちがベツレヘムに着いた時、イエスは飼い葉おけではなく、家におられたのです。つまり、マリアとヨセフが生活をしていた場所です。ですので、明らかに、イエスのご誕生された夜ではなく、「イエスがお生まれになった後」のことであります(マタイによる福音書第2章1節)。上記より、イエスのご出生後、ヨセフとマリアはベツレヘムの家に住んでいたと結論付けることができます。

さらに、マタイによる福音書第2章11節では、学者たちがベツレヘムに到着した時イエスは、赤ん坊ではなくすでに幼児であったと記されています。学者たちの訪問時のイエスの年齢に関して、マタイによる福音書第2章16節から18節で、学者たちが報告に戻らずだまされたと知ったヘロデについてこう語っています。

マタイによる福音書第2章16節から18節
「さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」

この節によると、ヘロデ王は「学者たちに確かめておいた時期に基づいて」2歳以下の男の子と年齢制限をしたことをここで注意してください。マタイによる福音書第2章7節では、学者たちへの尋問で、星の現れた時期を確かめたと記されています。それにより、ヘロデは、イエスの年齢を知ることになります。ですので、「東方で星の止まった」時にイエスが生まれたとすれば、学者がイエスを訪れたときには、イエスはすでに2歳まで年を増していたこともありえるのです。

要約しますと:

i)  聖書は、学者は3人であったとは語っていません。

ii)  学者とは、東方から来た学問ある賢者の階級に属する人たちでありました。

iii)  学者たちは、イエスのご誕生の夜にイエスを訪問したのではありませんでした。聖書によると、学者たちがイエスを訪問した時、イエスは飼い葉おけにいる赤ん坊ではなく家に住む2歳以下の幼児であったと書かれています。

タソス・キオラチョグロ(Tassos Kioulachoglou)

 

日本語: Hiroko Wilson

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