聖書の事実

ソロモンの堕落 (PDF) PDF版

ソロモンの堕落

 最初は主と共に歩んでいても、後になって罪が心を支配することを許してしまったがゆえに主から離れてしまった経験を持つ人物として代表的なのは、おそらくソロモンだと言えるでしょう。ソロモンは聖書の中の3つの書物の著者であり、その事実だけでも、彼が当初は主に燃える人物であったことが分かります。主が彼に与えた知恵は特別なものでした。列王記上第5章9節から10節と14節にこう書かれています。

列王記上第5章9節から10節、14節
神はソロモンに非常に豊かな知恵と洞察力と海辺の砂浜のような広い心をお授けになった。 ソロモンの知恵は東方のどの人の知恵にも、エジプトのいかなる知恵にもまさった。・・・あらゆる国の民が、ソロモンの知恵をうわさに聞いた全世界の王侯のもとから送られて来て、その知恵に耳を傾けた」

そして列王記上第3章3節にこのように書かれています。

「ソロモンは主を愛し、父ダビデの授けた掟に従って歩んだ」

 ソロモンは主を愛し、父であるダビデの授けた掟に従っていました。しかし、それは長くは続きませんでした。すでに申し上げたように、昨日したからと言って、今日必ずするとは限らないのです。今日主に従うかどうかは、今日しなければならない決断です。主に従うかどうかの決断は日々、そして一瞬一瞬すべき事なのです。ソロモンは最初は従っていましたが、ずっと続けることが出来ませんでした。列王記上第11章1節から8節にある通りです。

列王記上第11章1節から8節
「ソロモン王はファラオの娘のほかにもモアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人など多くの外国の女を愛した。これらの諸国の民については、主がかつてイスラエルの人々に、「あなたたちは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをあなたたちの中に入れて はならない。彼らは必ずあなたたちの心を迷わせ、彼らの神々に向かわせる」と仰せになったが、ソロモンは彼女たちを愛してそのとりことなった。彼には妻たち、すなわち七百人の王妃と三百人の側室がいた。この妻たちが彼の心を迷わせた。ソロモンが老境に入ったとき、彼女たちは王の心を迷わせ、他の神々に向かわせた。こうして彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主と一 つではなかった。ソロモンは、シドン人の女神アシュトレト、アンモン人の憎むべき神ミルコムに従った。ソロモンは主の目に悪とされることを行い、父ダビデのようには主に従い通さなかった。そのころ、ソロモンは、モアブ人の憎むべき神ケモシュのために、エルサレムの東の山に聖なる高台を築いた。アンモン人の憎むべき神モレクのため にもそうした。また、外国生まれの妻たちすべてのためにも同様に行ったので、彼女らは、自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた」

 ソロモンは完全に主に背を向けたわけではありませんでした。対照的に、「主に従い通さなかった」のでした。言い換えると、ソロモンは冷たくもなく、熱くもなかったのです。生ぬるい状態だったのです。ソロモンは主の掟よりも、肉とその欲に従うことを好みました。ソロモンのこの心の変化に対して、主がどのように応答されたのか列王記一第11章に書かれています。

列王記一第11章9節から12節、14節、23節、26節
「ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、主は彼に対してお怒りになった。主は二度も彼に現れ、他の神々に従ってはならないと戒められたが、ソロモンは主の戒めを守らなかった。そこで、主は仰せになった。「あなたがこのようにふるまい、わたしがあなたに授けた契約と掟を守らなかったゆえに、わたしはあなたから王国を裂 いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代にはその手から王国を裂いて取り上げる。・・・こうして主は、ソロモンに敵対する者としてエドム人ハダドを起こされた。・・・また神は、ソロモンに敵対する者としてエルヤダの子レゾンを起こされた。・・・ネバトの子ヤロブアムはツェレダの出身でエフライムに属し、その母は名をツェルアといい、寡婦であった。彼はソロモンに仕えていたが、やがて王に対して反旗を翻した」

ソロモンは戒められたにも関わらず、変わることはありませんでした。さらに読み進んでいくと、自身の国の崩壊について神の預言者とも対立することになります。(列王記上第11章40節!)ソロモンの例は、一度世のものが心に入ることを許すと何が起こるのかを明瞭に示しています。世の崇拝するものを自分も崇拝するようになるのです。

主のために熱い人が生ぬるくなる例はソロモンだけではありません。多くの人々が同じ罠に陥りました。だからこそ、コリントの信徒への手紙二第13章5節ではこのように語っているのです。「信仰を持って生きているかどうか自分を反省し、自分を吟味しなさい」だからこそ、テモテへの手紙一第6章10節では、(テモテへの手紙一第1章5節から7節、19節から20節、第4章1節、第5章8節も参照)「金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出」た者について書かれているのです。だからこそ、イエス様は生ぬるい教会について語られたのです。(ヨハネの黙示録第3章6節)世に対する愛は御父への愛を消してしまい、私たちが今日信仰を持っているからと言って、明日必ず持っているとは限りません。ヨハネの手紙二第8節はこう語っています。

ヨハネの手紙二第8節
気をつけて、わたしたちが努力して得たものを失うことなく、豊かな報いを受けるようにしなさい」

タソス・キオラチョグロ(Tassos Kioulachoglou)

 

日本語: Kimiko Ikeda

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